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東京地方裁判所 昭和35年(行モ)22号 決定 1960年8月31日

申立人 東京都地方労働委員会

被申立人 株式会社 英語通信社

主文

被申立人は、被申立人を原告とし申立人を被告とする当庁昭和三五年(行)第四七号労働委員会命令取消事件の判決が確定するまで、申立人が昭和三五年四月三〇日付で都労委昭和三四年不第一九号事件についてした命令に次の限度で従わなければならない。

(イ)  被申立人は、椿万之助、牛込裕一郎、田辺栄子、山下寛子、渡辺喜久江、洞庭千代子、小島澄子、岡村文恭、中山玉二、岩堀弥生、戸張武雄、宇野敏子、両国道子、金井カク、蛭薙戦二、犬飼登祉子及び青木国夫が被申立人から解雇の意思表示を受けた当時の職又はこれに相当する職を従前と同一の労働条件の下に有限会社英通社(東京都新宿区四谷四丁目二四番地所在、代表者取締役今井昌彦)において得られるよう誠実に努力すること。

(ロ)  被申立人は、前項の努力にもかかわらず、その結果の実現が客観的に不可能な場合には、右一七名を同人等に対する解雇の意思表示前と同一の労働条件の下に被申立人の現に行つている業務に従事させること。

(ハ)  被申立人は、右一七名に対し昭和三五年九月三〇日に履行期が到来するものとして別紙目録一時払金額欄記載の各該当金員並に同年九月以降右一七名が右(イ)又は(ロ)により就業するに至るまで毎月二五日限り履行期が到来するものとして別紙目録月払金額欄記載の各該当金員を支払うこと。

(裁判官 桑原正憲 西山俊彦 北川弘治)

(別紙省略)

【参考資料一】

緊急命令申立書

申立人 東京都地方労働委員会

被申立人 株式会社 英語通信社

緊急命令申立について

申立の趣旨

右当事者間の御庁昭和三十五年(行)第四七号労働委員会命令取消請求事件の判決が確定するまで、被申立人株式会社英語通信社は全印総連東京地連・出版労協英語通信社労働組合の組合員椿万之助、牛込裕一郎、田辺栄子、山下寛子、渡辺喜久江、洞庭千代子、小島澄子、岡村文恭、中山玉二、岩堀弥生、戸張武雄、宇野敏子、両国道子、金井カク、蛭薙戦二、犬飼登祉子、青木国夫を原職もしくは原職相当職に復帰させ、同人等が解雇の日から原職もしくは原職相当職に復帰するまでの間受けるはずであつた給与相当額を支払わなければならない。

との決定を求める。

申立の理由

一、当事者

被申立人会社は従業員二十三名をもつて「カレント」「ウイクリー」の発行その他単行本の出版ならびに「大学受験講座」を業とする株式会社であつたが、昭和三十四年四月十八日解散を決議し、現在清算中である。

椿万之助外十六名の者は被申立人会社従業員であつて、昭和二十三年英語通信社労働組合を組織し、同二十八年には全国印刷出版産業労働組合東京地方連合会に加盟した。

二、事件の経過

英語通信社労働組合は結成当初においては見るべき活動はなかつた。しかし昭和三十三年夏季・年末手当闘争に際して、組合活動は活発に行われた。

一方被申立人会社の経営は昭和三十年以降思わしくなくなつたため、昭和三十四年一月六日経営不振の最大原因である受験講座の縮少を主とする機構改革を行つたが、同年二月十日には受験講座の廃止を決定し、それに伴う希望退職者の募集について団交を組合に申入れた。

組合は同日大会を開催してストライキを決議し、翌日には「人員整理反対と賃金一割値上げ」を要求して上部団体を交えた団交を申入れた。

会社は団交を拒否したため、同月十三日組合はストライキに入り、職場占拠を行つた。

その後数回団交が行われたが話合いがつかなかつたため、三月二十七日会社は企業縮少を理由として岡村文恭外九名に解雇を通告した。(第一次解雇)

さらに四月十八日臨時株主総会において会社解散を決議し、残りの全組合員椿万之助外六名を解雇した。(第二次解雇)

しかしその後も会社の主要出版物である「ウイクリー」「カレント」は英語通信社の社長である今井花枝の孫の今井昌彦名儀の英通社から引続き発行されている。

三、当委員会に対する救済申立と命令主文

昭和三十四年五月十一日組合は「組合員全員に対する解雇は、組合活動を嫌悪して行われた不当労働行為である」として救済を申立てた。

当委員会は審査の結果、昭和三十五年四月三十日付をもつて「被申立人会社は椿万之助外十六名を原職もしくは原職相当職に復帰させ、同人等が解雇の日から原職もしくは原職相当職に復帰するまでの間受けるはずであつた賃金相当額を支払わなければならない」との命令を発した。

この命令は昭和三十五年五月十七日被申立人会社に交付された。

四、右命令に対し被申立人会社は昭和三十五年六月十日右救済命令の取消しを求める旨の行政訴訟を提起し、右事件は御庁昭和三十五年(行)第四七号事件として目下係争中である。

五、もし本案決定まで当委員会の命令が未確定のまま長時間放置されるときは、不当労働行為によつて解雇された労働者ならびにその家族の生活は極度に困窮し、ひいては回復不能の損害を蒙むるおそれがある。このような事態は、迅速に労働者の救済を行うことを目的とする労働組合法の精神に明らかに違背するものである。従つて当委員会は昭和三十五年六月十六日第二九〇回公益委員会議において、緊急命令の申立を行うことを決定した。

【参考資料二】

命令書

申立人 全印総連東京地連・出版労協英語通信社労働組合

被申立人 株式会社 英語通信社

右当事者間の都労委昭和三十四年(不)第一九号不当労働行為申立事件について、当委員会は昭和三十五年四月三十日、第二八六回公益委員会議において、会長公益委員所沢道夫、公益委員塚本重頼、同磯部喜一、同井上縫三郎、同坂田修一、同三藤正、同石川吉右衛門出席し、合議のうえ左のとおり命令する。

主文

被申立人会社は申立人組合の組合員椿万之助、牛込裕一郎、田辺栄子、山下寛子、渡辺喜久江、洞庭千代子、小島澄子、岡村文恭、中山玉二、岩堀弥生、戸張武雄、宇野敏子、両国道子、金井カク、蛭薙戦二、犬飼登祉子、青木国夫を、原職もしくは原職相当職に復帰させ、同人等がそれぞれ解雇の日から原職もしくは原職相当職に復帰するまでの間受けるはずであつた給与相当額を支払わなければならない。

理由

第一認定した事実

一 当事者

被申立人会社(以下会社という)は東京都文京区駒込西片町十番地において、従業員二十三名をもつて、「ザ・カレント・オブ・ザ・ワールド」「ウイクリー」の発行、その他の単行本の出版ならびに「大学受験通信添削講座」の実施を業とする株式会社であつたが、昭和三十四年四月十八日解散を決議し、現在清算中である。

申立人組合(以下組合という)は会社の従業員十七名をもつて組織し、全国印刷出版産業労働組合総連合会、東京地方連合会に加盟する労働組合である。

二 組合の結成とその後の労使関係

1 会社は昭和二十一年二月、今井信之の個人経営から株式会社に改組されたが、その後も経営は代表取締役社長今井花枝、常務取締役今井富美枝、取締役今井邦彦らの今井家親族によつて行われ、従業員は社長を大奥様、常務取締役を奥様と呼んでいた。

2 昭和二十三年五月労使関係を刷新し、待遇を改善する目的をもつて、会社の編集部に勤務するアルバイト学生が中心となつて、労働組合が結成された。

3 組合結成後当分の間は、アルバイト学生の指導の下に労働協約の締結、賃金問題、就業規則の制定等について組合は会社と団体交渉を行つた。

4 その後、アルバイト学生が卒業して退社したため、組合員は役員の任期を輪番制で勤め、年二回の手当は会社の提示した金額をそのまま受け入れ、賃上けも昭和二十八年以降全く行われなかつた。

5 組合は昭和二十八年四月、全国印刷出版産業労働組合総連合会東京地方連合会に加盟した。

三 昭和三十三年夏季手当および年末手当闘争について

1 組合は昭和三十三年六月、夏季手当として、月収一カ月分を要求した。会社はこれに対して〇・五カ月分を回答した。そこで組合はリボン闘争を行うとともに、数次の団体交渉の結果、〇・八カ月分の夏季手当を得た。

2 同年十一月十七日、組合は一カ月分の越年手当を要求したのに対して会社は同月二十九日、餅代二、〇〇〇円を回答した。組合は上部団体の出席の下に十二月四日以後二回にわたり会社と団体交渉を行つた。しかし交渉は進展しなかつたので組合は当委員会に斡旋を申請したが、会社は「使用人には頭を下げたくない」と言つてこれを拒否した。その後も会社は上部団体を交えた団体交渉を拒否したので、組合自ら団体交渉を行つた結果、会社は二、五〇〇円を回答した。

3 会社は十二月十三日、組合に対して、執務時間外の会社立入り禁止と、特別な許可がない限り会議室の使用を禁ずる旨を通達した。組合は十二月二十日以後上部団体等の応援を得て、ビラ貼り、リボン闘争等を行つた。

4 十二月二十六日、社長自ら団体交渉に出席し、「お互に苦しいのだからなんとかこの危機を乗り切つて行きたい」と述べ、二〇〇円を増して二、七〇〇円で解決してもらいたい旨を述べたが、組合は翌二十七日から上部団体の指導と応援を得てストライキに入つた。

5 十二月二十八日、会社は一率に五、〇〇〇円を支給する旨を回答したので組合はこれを受諾し、ストライキを解除した。

四 昭和三十四年一月頃の労使関係

1 昭和三十四年一月六日、仕事始めの日、取締役国分夙は全従業員に対して、「<1>機構改革を行う。<2>会社の今までのやり方は温情的であつた。今後組合とは一線を画する。組合の委員会には重役室を貸さない。」と言明するとともに労使協議会の開催を要求した。

2 同日、労使協議会において会社は、「受験部門不振のため昭和三十年以降経営は思わしくなく赤字は年々かさむ一方で、昭和三十三年末には早急に会社の建直しを図らない限り、会社倒産という事態も予想されたので、同年十二月三十日、重役会を開き協議した結果、とりあえず一月初めより受験部門を縮少してウイクリーその他の宣伝販売に重点を置く」と述べて、機構改革案を組合側に提示した。

3 組合は「この機構改革案では事業の発展は望まれず、その上労働過重になるから、人員の配置について再考すべきだ」と主張したが、会社は「これが発展策なのだ、明日から実施する。反対するものは退職してくれ」と強く述べたので組合はやむなく会社の機構改革案を受け入れた。

五 企業縮少と人員整理

1 昭和三十四年二月十日、会社は労使協議会において「会社は過去三カ年間に非常な赤字を出すに至つた。その原因は一に受験講座の不振にある。会社は本年四月から受験講座を廃止することに決定し、それに伴う業務の縮少並びに人員整理をすることになつたので、組合員からも退職者を募りたい。これは重大な問題だから具体的には団体交渉を開いて話し合いたい。」と組合側に申し入れた。

受験講座の会員数は、昭和二十八年において月平均五、九三八人であつたが、昭和三十年は月平均三、八四三人、昭和三十三年は月平均一、五三六人となつた。なお会社は受験講座については、会員数一、五〇〇人をを採算点としていた。

2 組合は同日大会を開催してストライキの決議をするとともに、団交員に中山玉二、岡村文恭、岩堀弥生の三名を、闘争委員に上記の団交員三名と牛込裕一郎、宇野敏子、両国道子、椿万之助、戸張武雄の八名を選出した。

この頃会社は組合員の机の引出しから出版物の原稿、執筆者名簿、経理帳簿、未発送の出版物等を引上げた。

3 翌十一日および十三日組合は、人員整理反対と賃金一割値上げを要求して、上部団体を交えた団体交渉の開催を申し入れた。会社は「外部団体員を交えずに組合員と充分話し合いたい。」として組合の申し入れを拒否した。

4 二月十三日、組合はストライキに入り、職場占拠を行つた。そして今日までこの状態が続いている。

5 二月十七日午前十時、会社は組合側三名、会社側三名の同数交渉人員をもつて、約二時間半団体交渉を行う旨を組合に通告し、直ちに交渉に入つた。会社側は常務の今井富美枝と国分夙、柴田照久の両取締役が組合側団交員中山玉二、岡村文恭、岩堀弥生に対して人員整理と希望退職者の募集を提示したが、組合側は人員整理撤回を主張した。交渉は午後六時頃まで続行されたが、その間組合員多数が会議室に入り込んで交渉を見守り、会社側団交員の食事中や用便に行く途中もつきまとつて離れなかつた。

6 三月三日、組合は当委員会に会社の団体交渉拒否を理由とする不当労働行為申立を行つたが、三月二十一日から二十六日まで数回にわたり団体交渉が行われたので組合は申立を取り下げた。この団体交渉において会社は再度希望退職者の募集を掲示し、希望退職者のないときは十名の指名解雇を行う、退職金は規定の五割以下を支給すると述べた。

これに対し組合は、会社の経理帳簿を公開して人員整理の必要な理由を説明するよう要求したが、会社はこれを拒否した。

7 三月二十七日、会社は<1>受験講座担当者、<2>勤続年数の少ない者、<3>業務縮少により必要のない者の解雇基準に基づき、組合員岡村文恭、中山玉二、岩堀弥生、戸張武雄、宇野敏子、両国道子、金井カク、蛭薙戦二、青木国夫、犬飼登祉子の十名に内容証明郵便をもつて解雇を通告した(第一次解雇という)。同時に解雇予告手当の支払いも併せて通告したが受領しなかつたので供託した。

なお同日行われた団体交渉において会社は解雇通告については全く言及しなかつた。

六 債権者集会について

1 昭和三十四年四月二日開催された債権者集会の席上、会社は大日本印刷、寿紙業、博報堂等の債権者に対して事業縮少による会社再建案を提示したところ、債権者は組合の協力を条件としてこれを諒承した。会社は寿紙業と従来から紙の取引関係にあつたが、昭和三十三年暮には同紙業に対する買掛金約一〇〇万円の支払いがとどこおるに至り、同紙業からの強い要請によつて会社は昭和三十三年一月、右未払債務につき約束手形を振出した上、今井花枝個人の保証書をも差し入れた。その後この手形は数回書きかえられ昭和三十五年二月頃完済となつた。また昭和三十四年二月頃には寿紙業は会社に出荷停止を通告することなどもあつた。しかしその後後述の「英通社」とは現金取引を行つている。

2 会社は四月三日、組合との団体交渉において、債権者集会の状況を組合に伝えて再度会社再建案への協力を要請したが、組合はこれを拒否した。

七 会社解散と第二次解雇

1 昭和三十四年四月三日夜、取締役会において会社解散の結論に達し、同月十八日、臨時株主総会において会社解散を決議した。

2 同日会社は解散を理由に残りの組合員椿万之助、牛込裕一郎、田辺栄子、山下寛子、渡辺喜久江、洞庭千代子、小島澄子の七名全部に解雇通告を行つた(第二次解雇という)。併せて解雇予告手当の支給を通告したが、同人らがこれに応じなかつたので供託した。

八 英通社について

1 昭和三十四年二月四日、英通社今井昌彦名儀で東京中央郵便局に私書函第五八八号が設置された。

なお「英通社」の社名は従来から会社の略称として一部の出版物、振替用紙ならびに取引先の一部において使用されていた。

2 昭和三十四年二月十二日頃、組合員中山玉二が取締役国分夙に従来通りの慣行に従つて英通社社長あての団交申入書を提出したところ、従来はかような宛名であつてもそのまま受領されていたにもかかわらず国分は「申入書に英通社社長と書いてあるが、うちは英語通信社だ。書きかえろ」と言つて書きかえさせた。

3 「ウイクリー」はその後も引続いて発行されている。

例えば「ザ・ハイスクール・ウイクリー」は昭和三十四年二月二十三日、第一二三巻第八号が会社から発行されたが、同年四月六日、第一二四巻第一号が編集兼発行者今井昌彦、発行所東京中央郵便局私書函第五八八号から発行されている。

4、「カレント・オブ・ザ・ワールド」の五月号は従来どおり昭和三十四年五月一日発行されたが、六月号は同年六月一日「英通社」から発行され、その後引続いて発行されている。

以上の事実が認められる。

第二判断

一 第一次解雇について

会社は第一次解雇は赤字部門である受験講座を昭和三十四年四月から廃止するため、組合員十名の希望退職者を募つたが、組合は業務縮少案の撤回を要求するのみで全くこれに応じなかつたために行つた指名解雇であると主張する。

しかし会社の業績低下は認められるとしても、直ちに十名を解雇しなければならないほど経営がひつ迫していたという充分な疎明はなく、また問題となつた受験講座の会員数は、昭和二十八年以降年を追つて減少し、昭和三十三年に至つて月平均一、五三六人まで減少しているけれども、会社は同講座の採算点を会員数一、五〇〇人においていたことが認められる。

しかも会社は業績低下の最大の理由となつた受験部門を縮少して「ウイクリー」その他の宣伝部門に重点をおく機構改革案を昭和三十四年一月六日組合に提示し、直ちに実施した。しかるにこの機構改革を実施してから約一カ月の後、その成否如何も明らかにならない二月十日に会社は再び経営方針を変更して、企業縮少、人員整理案を組合に提示するに至つた。

二 第二次解雇について

第二次解雇については会社は赤字の累積に加え債権者の協力を得ることが不可能となつたため、四月十八日臨時株主総会の決議により解散したので、やむなく解雇したと主張するが、英通社なる名のもとに「ウイクリー」「カレント・オブ・ザ・ワールド」は依然として引続き発行されている。この英通社なる名称は従来から会社の略称として使用されていたものである。また「ウイクリー」「カレント・オブ・ザ・ワールド」の発行者である今井昌彦は株式会社英語通信社代表取締役社長今井花枝の孫であり、同社常務取締役今井富美枝の次男である。

また会社は徹頭徹尾経営不振による赤字の累積を主張しておきながら、大口債権者である寿紙業に対しては、債務約一〇〇万円の支払いを昭和三十五年二月頃には完了し、その後も英通社が同社と取引関係にある。

さらに昭和三十四年二月四日には、すでに英通社今井昌彦名儀で東京中央郵便局に私書函を設置していた。その上同年同月十二日頃、組合が英通社社長あての団交申入書を提出したところ、会社は従来とことなり、直ちにあて名を英語通信社社長に訂正させたことなどからみて、この頃すでに英通社の名の下に業務の継続を企図していたものと認められ従つて株式会社英語通信社と英通社は実質上同一である。

三 組合活動について

一方組合は昭和二十三年結成されたのであるが、見るべき活動はなかつた。しかし昭和三十三年に至つて夏季手当闘争、年末手当闘争を通じ、同年末から翌三十四年初にかけて、組合活動は俄然活溌となつたことが認められる。会社はこのような組合の活動を極度に嫌悪し、昭和三十四年二月十一日の団体交渉申入に対しても、ほとんどこれを拒否する態度に出た。またその後行われた団体交渉においても、業績悪化、人員整理の不可避な理由について何ら具体的説明を行わず、業務縮少の一点張りで押し通し、希望退職者の退職金についても、単に規定の五割を支給すると述べたのみであつた。その挙句三月二十七日第一次解雇が行われた。しかも同日には団体交渉が行なわれていたにも拘わらず、解雇について何ら言及するところがなかつた。

他方すでに同年二月には別に英通社がつくられていたのであるが、会社は右のような第一次解雇の手段をとつたにも拘らず、なお組合が潰滅しないとみるや、同年四月三日会社解散を決議し、全員解雇(第二次解雇)の挙にでたものと認められる。

四 これらの事情を総合して考えてみると、昭和三十年頃から会社の業績が低下したことは否定し得ないところであるが、他方従業員が組合を結成し、団体交渉、ストライキ等を行つたことがなければ、会社は組合員の解雇等の手段はとらなかつたであろうと認められる。従つて会社の行なつた第一次、第二次解雇は明らかに不当労働行為であるといわなければならない。

以上の次第であるから、労働組合法第二十七条および中央労働委員会規則第四十三条を適用して、主文のとおり命令する。

昭和三十五年四月三十日

東京都地方労働委員会 会長 所沢道夫

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